沖縄の織「芭蕉布・宮古上布」
南国沖縄に今も脈打つ伝統の「わざ」
琉球王朝時代を垣間見る
独特の風土や文化を持つ沖縄の代表的な織物はいろいろありますが、最も古く13世紀ごろからすでに織られていたのが芭蕉布で、暑い沖縄では生活に欠かせない織物になっていました。
かつては屋敷内に材料となる糸芭蕉を植え、糸を績み、機を織る風景がどこにでも見られたといわれています。そして、自分自身や家族が織った芭蕉布を着て祭に参加していたそうです。
戦後、壊滅的な状態を復興のために尽力され、国の重要文化財に指定されるまでにされたのが、平良敏子さんです。
個人で人間国宝にもなられましたが、自分一人ではできないことから認定を返上され、今では「喜如嘉の芭蕉布」として「保持団体認定」のみとなっています。
「芭蕉布の小さな端裂でいいから一度見たい。」との思いが私の収集の始まりで、今では8枚ほどの着物があります。
「無地、縞、格子柄は平民。絣柄の柄がおおきい程、位の高い人。反物の横幅に1玉(柄)~5玉(柄)まであり、遠くから大きい柄は良く見えて位の高い人とすぐわかるように、位によって柄の数が決まっていた。」と、沖縄の物にめっぽう強い藤原さんに教えてもらいました。そう思って着物を見直したら2玉がありました。
芭蕉布は大変手間と時間のかかる着物です。芭蕉布の材料となる糸芭蕉は植え付けてから3年で、2m以上に育ったものを200本切り倒し、やっと1反の着尺分の繊維が採れます。その後、布になるまでに20余りの工程があり、およそ半年かけて1枚の着物が織りあがります。
沖縄で芭蕉布伝承館を見学した時の事です。平良敏子さんは留守でしたが、3年育てた糸芭蕉の生育の良し悪しで、9割まで、出来上がった織物の品質が決まるとお聞きし、畑も見せていただいた。その少し後、ラジオのニュースでその畑の3年物の糸芭蕉が盗まれたと聞きました。心ない人の為「今年の作業の予定が立たない。」 平良さんたちの嘆きが聞こえてくるようでした。
宮古上布も同じく重要文化財に指定されていて、10枚以上展示しました。
セミの羽根のように繊細で光沢のある麻織物ですが、糸の準備ができれば7割はできたといえるほど大変な作業です。チョマ(麻の一種)の表皮をとり、中の繊維を細く裂いて糸にしテーチ木(車輪梅)や琉球藍で染めます。砧(きぬた)打ちにより、繊維がつぶれて絡み合うことで、薄くて丈夫で光沢のある反物になるのです。
透きとおる様な着物
6月の終わりに宮古上布の着物でお芝居に出かけました。
時間の合間に呉服屋さんをのぞき、夏大島を着ていた友達は「いい、お着物ですね。」と若い店員さんに褒められましたが、私の着物には「何着てるの」と目が?クエスチョンマーク?になっていただけでした。そればかりか、店には100%麻の着物は1枚もありませんでした。
ロビーで老婦人が1人だけわかってくださいました。私も少し前までは分かりませんでした。それくらい今では目にすることもない、希少品になりつつあります。今後の展示の際にはぜひご覧いただけたら幸いです。
芭蕉布の村・喜如嘉(きじょか) / 喜如嘉のある大宜味村は、沖縄本島北西部に位置し、東シナ海に面している。芭蕉布事業協同組合のブログには、芭蕉から布に仕上がるまでの制作行程や集落の暮らしぶり等が興味深く紹介されている。 詳しくはこちら