花の銘仙
大流行した気軽なおしゃれ着、銘仙
春の花々 バラ、チューリップなど
夏の花々 朝顔、向日葵など
縞から斬新な文様への移行
銘仙は、絹を素材とした先染めの平織物であり、もともとは太織り(ふとり)と呼ばれ、農家が自家用として糸を作り、草木染めをし、縞柄を主流に手織りされていました。経糸が多く、網目の細かさ、緻密さから「目千」「目専」(めせん)と言われたのが、「めいせん」になったとの説もあります。
大正以降は染色、織りの進歩により、複雑大胆な模様が考案され、昭和三十年代前半にかけ、一世を風靡しました。その後、着物離れとウール、化学繊維の普及により、手間のかかる銘仙は姿を消すこととなりました。
色々な銘仙の中から何の花と分かる銘仙の花模様だけを春夏秋冬の四季にわけて展示しました。春は桜・牡丹・バラ・マーガレット・アザミ・杜若・チューリップ・藤・桐・白木蓮。夏は向日葵・けとう・アマリリス・朝顔・ハイビスカス・夕顔。秋は七草・撫子・菊。冬は水仙・椿・梅などです。
中でも、菊、梅、椿、チューリップなどは趣の違う同じ花の着物が5枚ずつありました。
子どもの頃、実家では農業の合間をみて養蚕を年2回、春蚕(はるこ)4月末~6月の30日間と秋蚕(あきこ)9月頃の20日間を飼っていました。人の生活の場所を「蚕様」に与えて、私たちは土間にゴザを敷いて食事をし、蚕の棚の間で寝ていたことを思い出しますが、昭和35年位まで日本の重要な輸出品だった生糸の輸出ができなくなり、瞬く間に日本の養蚕は衰退して行きました。値段が安くなり、ご近所も一緒に養蚕をやめた気がします。
そんなことなど何も知らず、もう「お蚕様」に家を明け渡さなくてもよいのが子ども心には、とてもうれしかったものです。
秋の花々 菊、撫子など
冬の花々 椿、水仙など
普段着としての銘仙の衰退
銘仙は養蚕農家で出荷できない繭を使って、作られていたので、岐阜県では羽島市で盛んに作られていました。
余談ですが、羽島市から揖斐川町に移住された80歳近い男性が今も趣味で皆さんに裂き織りを教えて見えましたが、「銘仙を織っていたが、何とか良い反物を作りたいと研究したくても、親父が『何をしている、来年の千円より今すぐの1円が大事だ』と、ただ、数こなしの仕事だけをさせられていたので、時代に流され、そのうちに工場も無くなってしまった。自分で納得できるもっと良い物をひとつでも作りたかったなあ。」と、しみじみおっしゃった。
そんなわけで、昭和35年くらいまでに結婚された人は普段着としてだれもが銘仙の2・3枚はタンスに入れて持って行かれたと思います。しかし、その後作られなくなり、普段着は虫に食われやすいウールに代わってしまいました。
展示会では、大胆な色彩や模様に若い人にも人気な銘仙を楽しんでいただきました。