花嫁衣装・打ち掛け
あこがれの花嫁衣装で、誰もが一生に一度の主役になれる
花嫁衣装としての打ち掛け
現在は打ち掛け姿の花嫁さんも少なくなり、巷にあふれていた貸衣装屋さんもあまり見かけません。
昭和40年代から当たり前のように貸衣装屋さんで打ち掛け(お色直しのドレスまで)を借り、結婚式でしたが、結婚式場やホテルで全部お膳立てをするようになり、結納品、衣装、引き出物まですべて式場任せ。そして今では、その結婚式場がほとんど廃業しました。
打ち掛けも作られなくなり、私の着物に対する時代分け(40年前くらいまで)で「新し物」でも、とても貴重品になってきました。
その反面、中国のお色直しで人気ある打ち掛け姿は若者たちが中国古来のものと勘違いしており、日本の文化まで切り捨てられていくような気がし、とても寂しい。
トルソーが着た打ち掛けと、色打ち掛け(向かって右後ろ)のセット
打ち掛けの歴史
もともと中国と国交を絶った1300年前から、日本独自の衣として形を変えながら、現在まで日常着として着用されている衣(着物)は世界でも類をみない、貴重なものです。
明治・大正・昭和の様々な打ち掛け
貴族社会の大袖に始まり、武家社会と共に発展してきた小袖は、ほぼ現在の着物の形(小袖)となりました。
武家と裕福な町人は、身分により固定化された男子の服飾に比べ、女性は身分や階級により、好みや美意識を衣(小袖)に反映させてきました。その中で、引きずりながら着る打ち掛けは、唐織り、刺繍、辻が花、絞り染、友禅染などなど、時代ごとに流行の手法や模様づけがされてきました。
明治になり、着丈で着物を着ておはしょりをするようになって、打ち掛け姿は花嫁衣装だけとなりましたが、その後一般には、昭和30年代まで、引き振袖を着ることが多く、自前の衣装でした。
この時代は振袖の袖を切って、まさに留袖とするように柄付けされた振袖も良くあります。
その後の打ち掛けはレンタルとしての打ち掛けだけになってしまいました。