先人の技の素晴らしさに魅せられ、着物コレクションを始めてしまいました。-
    3000枚の着物たちに託された思い、布の有る喜びをとどけます。

衣100年の歩み「貧と富」

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ギャラリー「布有喜」5周年の集大成

大正100年に合わせて展示会

 樹庵でのご縁をいただき、昨年(2012年)11月「布有喜」は5周年を迎えることができました。
 このつたない私のコレクション(着物たち)も、40回以上の展示会を重ね、ご覧いただく皆様のおかげで、少しずつ充実してまいりました。

 時代は今から100年前の1912年7月に明治から大正にうつり、衣(着物)の歩みについても時代の流れを感じている昨今です。
 こんな時、揖斐川町出身の写真家・小野庄一(甥)と、この地で「5周年特別展」を開催できる運びとなりました。
 100年の光にこだわってきた彼と、衣(着物)100年の歩みに心を奪われて着物コレクションしてきた私との、コラボレーションにより、衣100年の歩み「貧と富」展として庶民の日々の暮らしの衣と、富裕層や庶民の特別な日の衣を、時代の流れにそって80点ほど展示いたしました。写真展「百歳王」、「笑顔の写真館」も同時開催いたしました。

_MG_3599.JPG龍村平蔵丸帯,菊花紋黒留袖など
_MG_0623.JPG鏡台(明治期)とかみ飾り

富の象徴としてのコレクション

 昭和の初め、工芸品の部門で初めて帝展(現在の日展)での募集があり、2000点以上の応募の中から、入選し、芸術的といえる「作家物」の走りとなったのが、織りの山鹿精華と染めの皆川月華の二人です。
 本展では、精華の綴れ帯とネクタイ。月華の屏風と額。初代龍村平蔵の「国宝日暮文蒔絵錦』の丸帯。皇室の菊花紋「十六八重表菊」の黒留袖。その他明治、大正、昭和の打ち掛けなど、富の象徴として20点ほど展示いたしました。

_MG_3597.JPG100枚以上を継ぎ接いだ半纏(中央)など
_MG_3596.JPG  消防士(向かって右)・継ぎ接ぎの野良着(左)は涙を誘う

貧の象徴として

 ほとんどの庶民が、そしてこの素晴らしい「富」の衣を作る職人も、「貧」の衣を日常着として生活している情景が浮かんできます。
 藍木綿に100枚以上継ぎ当ての有る半纏(湖東町の古民家解体ででたもの)をはじめ、布団の皮、野良着、もんぺ、前掛け、子どもの着物、風呂敷など40点を展示しました。
「お宝もいいけれど、ぼろを着たトルソーを見て、母の姿がダブり涙が出ました。」と、思われる方が何人も見えました。
 ある老夫婦が、「私は長い間、解体業をしていて、いつももったいないと思いながら処分してきました。こんなボロまで集めてみえるなら、利用して役に立ててほしい。」「今、家業は息子に譲りましたが、息子も同じ思いです。」
 ある人は、「岩手県の踊りを名古屋など舞台の上で披露しています。その時の衣装が古布をたくさんつないで作った着物を着て、黒い戦前の帯を使います。探すのが大変で譲ってほしい。」など、いろんな出会いがありました。
 東京浅草の浅草寺のすぐ横にあるアミューズミュージアム(下記参考)に、東北のボロの展覧会があり、私は2回も見に行きました。
 綿もなかった東北では、麻を何枚も重ねてわらを入れた布団など、この中部圏より貧しさ、生活の厳しさが、ひしひしと見えてきました。今にも朽ちそうなボロですが、自由に写真を撮ったり、触ることができ、本展でも「貧」の展示物の一部は、自由に触ったり、羽織ったりしていただきました。その他小物を20点ほど展示いたしました。

アミューズミュージアム / 浅草にある布文化と浮世絵の美術館詳しくはこちら

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